「あなたもスターに!」(1982年)という芸能プロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の応募者の中から選ばれた4人のアイドル候補(浜田範子、岩間沙織、鈴木幸恵、板谷祐三子)が、セイントフォーとして歌手デビューを飾ったのが1984年のこと。そのプロモーション費用に40億円もの大金を投じたということで世間の話題にはなったものの、デビューシングル「不思議Tokyoシンデレラ♪」のオリコンチャート最高位が35位と、大金をかけたわりに人気を伴わなかったことが、浜田範子(=濱田のり子)にとっての不運でした。
■応募総数3万人超、育成期間2年、プロモーション費用40億円セイントフォー動画(※もうドン引き必至です)
ただでさえ人気が出なくて落ち込んでる濱田のり子に、追い討ちをかけるかのように所属事務所の日芸とレコード会社リバスター音産との間に契約上のトラブルが発生。4枚目のシングルを出したあと新曲が発売できない状態が続き、デビューから2年後にはセイントフォー解散の憂き目にあってしまいます。その後濱田のり子は、ロック系ボーカルデュオ「ピンクジャガー」を結成するなど音楽活動のほうは続けていたのですが、それも1990年代半ばまでのこと。その後は女優業に転向するとともに、起死回生を狙って初のヌード写真集を発売。これが功を奏し多額の報酬を受け取った濱田のり子は、「裸を晒せばぜいたくが出来る!」という旨み(快感)をここで知ることとなります。
それからの濱田のり子は、女優(主にVシネマ)として活躍するかたわら、次々に写真集を発売。さらにヌード写真だけでは出し足りないとでも思ったのか、1999年にはイメージビデオにも出演することに・・・。しかも最初は抑え気味だったビデオの内容も、過激さを売りにするキングダム作品に出演後にはその露出ぶりが急加速!アナル見せにはじまり、マ★コのビラビラ(ほんの一瞬)まで披露するその大胆さに、股間をボッキ~ンさせる往年の濱田のり子ファンが続出したのも当然っちゃあ当然の話です。
ちなみに濱田のり子が露出を急加速させはじめた2001年には、某広告プロデューサーとの結婚を発表。大胆露出しまくる妻に不満のひとつもないのかと誰もが思うところなのですが、濱田のり子いわく、「私の仕事を知って結婚したわけですし、仕事とプライベートを分けて考えてくれてるので、特にはないですね。」と涼しい顔。ならば理解のある旦那様には、「イメージビデオよりジャポルノデビューしたほうがもっと儲かるんやで~!」ぐらいのアドバイスをのり子奥様にしてもらえると大変ありがたいのですが、その点いかがなものでしょうか。(笑)
....というわけで、今宵は、昔アイドル、今はおばはんイメージアイドルとして活躍する”濱田のり子”のSEXYイメージ動画をご用意させていただきました。こちらの動画をご覧になりたい方は、続きを読むをクリック。